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雇用契約に期待していること

学生の頃はアルバイトをして、卒業してからは正社員として働いている。期間の定めとかの条件は色々あれど、働く約束をして守る代わりにある程度の価値を僕は享受している。その辺りをどう考えて契約条件を選んでいるかをメモしておく。

そもそも僕は幸せに生きていくために仕事をしている。僕の幸せはいいことをできる能力を獲得し続けることと、それによって生活を便利にすることにある。そのほかに、面白い概念の理解を深めることや広げることも幸せである。あとはご飯を食べて美味しいと感じるとか、笑うみたいなポジティブな感情であることも幸せである。僕の幸せはおおよそこの三つのどれかを根源的なものとして説明できると昔結論づけた。多分今やっても同じ結論になると思う。最後のポジティブな感情はずるい気もするけど、ひとまず飲み込むことにする。

さて、僕は幸せに生きるために仕事をしているのだった。ではどうして会社でソフトウェアエンジニアをしているのだろうか。プログラミングとソフトウェアエンジニアリングは上手にできるとそこそこいいことだと思うし、そのためのモデルやテクニックは面白い概念だと思っている。それらは生きた課題に対してアプローチするからこそ面白いとも信じている。しかし面白い課題を自分で探し出す能力に欠けているとか、当面見つからなさそうと学生の頃に判断したので課題を与えてもらえるソフトウェアエンジニアを選んだのだった。給料も悪くないし。

理解を深めるとか上手にできるようになる速度を高めるためには良い環境が効く。なので自分を高めてくれる人がいるとか、良い議論ができる環境が整っていることとかを求めている。社風とか給料とかが環境のパラメータだと思う。また自身の環境での立場や役割期待もパラメータの一つである。例えば同じ会社であっても社長の御曹司として入社したら、なんか他の人とは過ごす環境が違いそう。

自分は成長するものだし、会社は変わっていくものだし、市場や技術トレンド、技術に限らず労働とか社会の流れはうつろいでいくものである。もちろん自分の労働環境における役割期待も変わる。なので過去に行った職業選択の良し悪しはそのまま現在まで続くわけではなく、絶えず最適な選択は変わるだろう。もちろん自分の立場がうつろうことで、動的平衡が保たれて最適な選択は「会社に残る」であるかもしれない(そうなるように会社が調整しそう、そういうインセンティブが働くように制度設計されていそう)。選択自体は幸せを産まないけど大事なことなので、年末年始とか暇なときに考え直すといいと思う。


また、そもそもの前提として僕は労働が人生に必要なものだと信じている。なんもしないと心が虚無になるし、自尊心が保てなくなると思う。それは特に日々に進歩がないけど考え事はするので必然的にマイナス思考に陥るから。また、お金も自由も効かなくなるので楽しくない。

なので幸せに生き続けるために一生何かしらの労働をする必要があると信じている。自分に進歩を期待しなくなったら労働は必要ないかもしれないが、それは幸せな状態ではありえないように思う。一生進歩期待したいものだ。